忍者ブログ
旅は道連れ、世は情け。 アニメや漫画の話題やら諸々。デジモンが好きです。検索は避けてるよ。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

お久しぶりです。

ちょっと心境の変化があり、小説を復活させていこうかなって思います。ただ、ここのブログの更新は特にない予定です。いまのところ。

投稿先のアカウントはここです。よろしくね。

PR

あの頃の生き方を

なんで急に小説消したのかなーって改めて考えてみたけど、今回消した場所はこう、自分の中で満足できたんじゃないかなって。pixivもギャレリアもポイピクも個人サイトも、これから先を考えたときに私から特に何もすることがない場所だなぁって。果たす目的がなくなったというか何というか。

まぁそれでもね、作品置いとくだけなら別にそのままで問題ないでしょって思うかも知れませんが、これが案外維持するだけでも微妙に疲れちゃうんですよね。自分の管理下にある以上、どうしてもちょっと気にしてしまうから。地味に少しずつ何かが削られてるなーって。自分が好きで上げてたはずなのにね。

二次創作界隈も私が始めたときよりもなかなかに形が変わっちゃったからね。純粋な心で楽しむのが難しくなってきてる感じもしておりまして。なので楽しい思い出だけで構成されている内にここらで一区切りさせて頂こうかなと。楽しくて始めたことだから、楽しかったなで区切ろうって。そういう感じです。作風的にも変なことに巻き込まれる可能性は限りなく低いんですが、巻き込まれてからじゃ遅いからね。

とはいえ、私が満足したからってのが一番ですね。ずっとてめぇの満足の為に書いてたので。タケヒカも書けたし、原点回帰のヒュンマも書けたし、最後にはドンブラで人間のところに帰ってこれたし、なかなか綺麗な流れだったなーって。まだ引退したわけじゃないですけど。たぶんドンブラあと一本書くかな。映画公開時期に観に行けるかがわからないから、いつになるかは不明ですが。

ドンブラの構成をざっと考えた後に「あ、もう充分だな」ってちょっと思ったんですよね。二次創作でやれることをある程度やり尽くした感がね。感覚でしか無いので上手く説明できないのですが、いけるとこまではいけた気がしたんですよね。ここまでこれてすごい良かったなぁって個人的には思います。自分の中ではいい変化であることに間違いないので。


ただ私もなかなかに長いこと活動してましたので「作品は残しておいて欲しい」っていう方ももしかしたらおられるかもしれません。でもそこはね、私が決めたことですので。どこまでいっても私にとって二次創作は個人の趣味です。個人の趣味は、個人の判断で幕を下ろすのが一番かなと。

私も山ほどあるけどね、もう一度見たい誰かの作品って。あの話めちゃくちゃ良かったからもっかい見たい!ってのがね。しかし他者のことは他者が決めること、私の意志では叶わぬ夢です。二次創作も砂絵みたいなものなのですからね。砂に描かれた絵が消え去ったことを惜しむよりも、タイミング良く見れてラッキーだったな、ぐらいに考えて頂けるといいかなって。

一個だけちょっと申し訳なく思ってるのは、個人サイトをずっと残すよ!って宣言しちゃったことです。これだけはね、ほんとごめん。その時は私も残すつもりだったんだけど……心って移りゆくもので。祇園精舍の鐘の声です。ここだけは皆様の寛容さを信じるより他ありませんが、そこはもうね、純粋な善意を私も信じております。


これ本当に不思議なんだけど、十年以上活動してますが悪意らしい悪意を受け取ったことないんですよね。まぁ私も過剰防衛してるとこありますが、それでもやろうと思えばいくらでもできただろうし。私ね、インターネットってもっと荒んだところだと思ってたんですよね。大体において匿名なわけだから、傷つけようと思ったら安全なところから簡単に傷つけられるじゃないですか。だからどんなに身を守っててもどこかでは傷つけられるんだろうなーって思ってたんですが、なんかみんな異様に優しかったんですよね。

色々拠点を変えたりもしましたが、振り返って思い出しても優しい人たちばっかりで。なんでみんな優しかったんだろうね。お陰様で随分と呼吸が楽になりました。本当にありがとうね。


今後のことはさっぱり未定ですが、まぁなんかハマったりしたら何処かに現われるかもですし、もしも見かけることがありましたら「お、こいつ元気にしとったんか」ぐらいの距離感でなんとなーく見守って頂けると幸いです。


シグナル

ふとした時にさ、ハンバーグ食べたいって思うことあるじゃないですか。それってハンバーグが食べたいからそう思って、それ以上でも以下でもないわけで。体に不足している栄養素的な観点もあるかもだけど、まぁそれは置いといて。

二次創作も同じで、書きてぇなって思うから書くわけで。書きたいから書く、アップしようと思ったからアップする。それとおんなじぐらいの気持ちで「あ、書いた小説消そうかな」って思ったわけです。急に。自分でもちょっとびっくりした。

今まで何回も消そうと思った事あるんですけど、そのたびに心の何処かで「いや、でもなぁ……」って反対の声がしてたんですよ。でも今日はね、しなかった。消そっかな、って思ったときに「せやね」って返ってきたんですよね。十年以上やってますけど、そんな風に返ってきたのが初めてのことでして。こんな軽やかな気持ちで消そうって思えるって事は、今が消し時なんだろうなって。

急に消すのもどうなんだろうなーって思ったけど、でも消したかったんですよね、私が。なんでかわかんないけど。まぁ私が好きに書いたものだから、私が好きに消しても何の問題も無いよなって。

もしかすると「急すぎる」「せめて予告して」「とにかく作品だけは残しといてよ」って思われる方もおられるかも知れません。私も急に消されたら間違いなくそう思います。「え!?なんで!せめて作品だけは……!」って。

でもね、消したい気持ちって理屈じゃないんですね。書きたいなと思う気持ちと同じような気持ちで、消したいんですよね。アクションが欲しかったとか感想が欲しかったとか、そういう理由じゃないです。そういう理由で消すなら私はもっと前に消している。霞食べて生きてきたから。

いやでもこんな自然な気持ちで消そうって思えるんだね。あんなに二次創作に固執してたのに。私としては結構嬉しいんですよね。やっと二次創作への固執が消えたんだって。二次創作ってずっと私の心の松葉杖みたいなものだったから、ようやく松葉杖外しても良いって思えたんだなって。

うん、でもまぁ皆さんにとっては知ったこっちゃないことではありますよね。いいから作品置いといてくれよって、私なら思うし。

でもまぁ二次創作も一期一会ですからね。出会いがあれば、別れもある。そういうことです。二次創作をやめるってわけでもないし。色々消しただけで。

あとこう、直接的な理由でもないです。なんか言われたとか、そういうのはマジでないです。みんなさ、なんかわかんないけどすごく優しいから。こんなにも見ず知らずの人間なのに。なんでそんな優しいのかなって不思議なぐらい。

今後はとにかく感覚に身を任せていこうかと。好きで始めて続けてきたことだから、まぁ今後も適当に好きにやっていこうかなーと。


割と勢いで消したけど、結構すっきりしました。これ去年の八月にやれてたらよかったなー。そっちの方が綺麗な終わりだったもん。まぁ最後までぐだつくのもらしさってことで、はい。

付和雷同への反抗期

他にないからtwitterで人の感想とか見てるんだけど、最近ちょっと、距離取った方がいいかもなって思ってきた。なんかね、短い文章に慣れると長文読むのが苦痛になってくる。なんでもかんでもサクッと手軽に済ませたくなってきちゃうというか。そうなってくるとね、相手の話を聞かなくなるんだよね。自分の欲しい情報とか、自分が求めてる感情しか吸収しなくなってくると言うか。

なんというか、自分の感情や正しさを補強するためのツールになってくるなーって。他の人がどうかは知らないけど、あくまで自分の中でね。良いも悪いも関係なく自分が求めているものが探せばあるからさ、混沌の中で流されず自分を保つのが超大変。あの世界に慣れてしまうのはなんとなく危険だなと。人生のテンポが知らず速くなっちゃう。

twitterとかtiktokとかは、ちょっと危険な速さだと個人的には思いました。自分で制御できるならいいけど、私は気付けば延々と見てる。で、なんか段々苛々してくるんだよね。勝手に見て、勝手に苛々してる。自分でも何やってんのかよくわからない。なんで娯楽でこんな苛々してんだろ?って。どうしたって自分のペースが乱されちゃうんだよね。

tiktokとかこれまで頑なに見てこなかったんだけど、ドンブラのtiktok見たさにアプリ入れて「あ。このツールやべぇやつだ」ってなりました。開いた瞬間に何かが勝手に流れ出すんだもん。勝手に流されるとその瞬間に主従が入れ替わるんですよね。私が任意の映像が見たいから開いたのに、むこうから「見ろ!」って言ってくるから。開く度に毎回ちょっとだけ腹立つ。何を許可なく勝手に流してんだよ!って。アプリにキレだす愚かな人間。

まぁはい。だったらアプリ消して見るんじゃねぇよって話ですよね。まったくその通り。

多分向いてないんだろうなと思います。流行廃りゆくありとあらゆるものに。なんでも自分のペースでやりたいから、ペースをかき乱されるのが嫌なんでしょうね。まぁはい。だったら自分でスピード制御すりゃ良いだけって話ですよね。まったくその通り。でもね、それが出来なかったの。私は負けたの、テクノロジーの速さに。あらゆるものにかき乱されている自覚がすごくある。

アプリゲームも大体苦手。なんかこう急かされてる感じがするから。最初はアプリに従順に色々やるんだけど、段々と苛々してくるんですよね。なんでここまでアプリに従わなきゃいけないんだよって。大体アプリってノルマを課してくるじゃん。アプリはあくまで娯楽であって仕事じゃないのに。アプリゲーム作ってる方は仕事だから、まぁそのあたりはしょうがないんですが。

でもなんか疲れない?SNSとかアプリゲームを常にやるのって。私はすげー疲れた。最初は勿論楽しかったよ。だからしばらくは色々やってたんだけど、段々疲労感のが強くなってきて自分の自由な時間になんでこんな疲れることやってるんだろって思ってやめていったもん。最終的にどうしても義務感に支配されてしまうんだ……。

息抜き程度に良い距離感でやってられるんだったら良いと思うけど、結構な人間力が必要になるんじゃないかなとは思います。


Q.どうしてこんな角の立ちそうな事をわざわざ書いてるんですか?
A.自戒の為です。


こんなこと書いててもね、私は同じ事を何度も繰り返すんですよ。何回もやるよ。何故ならこれまでも何回も同じ事やってきたからね。ブログ読み返したらSNS等に悪戦苦闘してる感じが自分でもわかる。だからこうやって書いてたら、そういやそうだったなって思い返せるかなって。誰の言うことも聞かないかもだけど、過去の自分の言うことだったら聞いてくれそうじゃん。時間軸は違えど同じ自分ではあるからね。

テクノロジーは進化を続け、それを止めることはできないだろうから。その中で自分をどう保つのかってのが私の命題としてあります。勝つことはできないかもだけど、負けたくもない。主従の従になることにそこまで抵抗があるわけじゃないけど、もしそれなら主となる相手はちゃんと選びたいって話です。従には従の矜恃があるのだ。


どうしようもない世界の中で

昔もちょい言ってましたが、私はこの世界に溢れたありとあらゆる作品は自分にフィードバックできて初めて作品として完成されると思ってるんですよね。その作品に触れることで自分が何を考えたのか、何を得たのか、これからの人生にどう活かしていけるのか。それはもう善し悪しに関わらずです。悪しから得れるものもまた大きいですからね、悪しを見て自分がどう思うかも大切だと思うので。

だからね、本当にドンブラザーズ観て良かったなって思うんですよね。良いも悪いも全部偽りなくぶつけてくれたからこそ、自分が自覚していない自分をいっぱい知れたなって思って。まったく有り難いことです。暴かれたのはね、どちらかというと自分の悪しの感情です。あんまり自覚したくはなかった部分だから、意識の上にあんまり浮上してこなかったところをね、暴太郎戦隊に暴かれました。

なんというか、思考の癖みたいなところかなぁ。癖になってるところって自分だと気付きにくいからさ。しかも悪癖だからより気付けない部分を突きつけられたよね。主に雉野つよしに。正確に言うと雉野つよし本人じゃなくて、雉野つよしに対して抱いた感情です。

最初は同族嫌悪から入ってそのモヤモヤを解体していって気付かされたといいますか。無意識で因果応報を望んでいる自分にびっくりしたというか。見知らぬ他者に対して、自分が何かされたわけでもないのに痛い目を見ろと願っている自分の愚かさというかね。「あ!なるほど!?」ってなった。

もっというと、その愚かさに対して「そういう自分じゃ駄目だな」って思ったんじゃなくて「そういう自分も愛していいかもな」って思えたんですよね。みほちゃん獣人が人間は愚かで哀しいから愛おしいって言ってくれたから、ある意味愚かさこそが人間なんだなって思えたといいますか。許せる自分というか、まぁ人間ってそんなもんだよなって気軽に捉えられるようになってきたなって。

人間が嫌いだったんだけど、その嫌いっていう感情も多分人間に対しての期待値が高かったからなんだと思ってて。他の生物よりちょっと賢いもんだから、私も人間として思い上がってたんです。人間は本来はもっと崇高なはずだと。でもね、違ったのかも。人間って他の生物よりも弱いからこそ、こんなにちょこざい生き物になっちゃったのかもなって。

道具を使うのも集団で生きるのも、個体として弱い生物だからこそ集団で生き残るための手段だもんなーって。牙も爪も失って、弱さを得た代わりに集団を手に入れたのかもですね。人間を捉えるときに、まず大前提として弱さを考えた方がやりやすいかもなって思ったんですよね。多分どこまで精神が成熟しようが身体が強くなろうが、前提条件として人間って弱いのが当たり前なのかなって。

「弱さ」とどこまで真摯に向き合えるかが人生なのかもなぁって、ドンブラザーズ観てて思いました。

ドンブラとデジモン02が似てる気がするのって、人間を描こうとしてるとこかも知れない。
まぁ正直02の方はあんまりうまくいってはないんだけど、逆にそのうまくいってなさが人間らしくもあるんですよね。本宮大輔くんはドンブラの世界でやっていけると思う。彼はどっちかというと脳人側だとは思うけど。欲望がないという点において。あんなにヒカリちゃんに恋しておきながら、ラストバトルでその夢には捉えられなかった男だから。

私は作品に漂う「どうしようもなさ」が好きなのかもしれないです。人生ってさ、実際どうしようもないこと一杯あるじゃん。みんなが幸福に生きれる世界を願っても、なかなかそうはいかないじゃない。だからこそ物語の中だけでも夢を見たいという気持ちもあるけれど、でも結局それって都合のいい夢でしかないわけだし。目を覚ませばそこに変わらず現実は横たわっている訳で。

だからこそ「どうしようもなさ」の中でどう生きていくか、みたいな物語が好きなんだと思う。どうしようもない現実を生きていくヒントになるから。どうしようもない中を、それでも生きてる限りは生きていかなきゃいけないからね。少しでも自分の呼吸が楽になるようにはしていきたいなぁと。

猿原さんはどうしようもなさの中でも侘び寂びの心でずっと漂っていた訳だけど、ラストで雲にはなれないって言ってたから、だからVSの猿原さんマジでどうなるか楽しみなんだよね。どうしようもなさの中で地に足着けるんかなぁ。社会性を手に入れる猿原真一……??

まぁ結局は考え方の差になってくるわけだけどさ。考え方が変われば自ずと行動も変わってくるから。世界はなかなかにどうしようもないし相変わらず人間は好きではないんだけど、まぁそれでもぼちぼちやっていけたらなぁって思います。