今日もうだうだ
二次創作始めた最初のころ、頭の中が創作ネタでいっぱいで、書いても書いても書きたくなったものだけれど、もういよいよなくなってきたよね。前はね、言いたいことは全部創作にしようスタンスだったんだけどね、今は言いたいことは全部言おうとしてるからその辺が……うん、最近の面倒臭さに繋がってるんだと思います。
でもなぁ、13年だもんな。そんだけあったら生まれた子も中学生になるもの。ずーっと同じスタンスでいるならそれはそれで脅威だよね。日記とかも、最初叫んでるだけだったから。タケヒカ―!!ってしか言ってねぇ。
タケヒカ!タケヒカ!大好き!!とか言いながら、書いてるやつは全然甘くなかったりするし、その辺自分でもちょっとよくわかんないんですよね。繰り返し89話リピート再生する立春ジャンキーなのに、一番最初に書いたのは立向居くんと木暮くんが酒飲んでる話だし。わけがわからんな。
各ジャンルの最初の小説、甘かった試しがないんですよね。いつもそう。大体なんかちょっと物悲しい感じになってる。だから……なんかたまに、自分でも何を望んでるんだか疑問に思うことがあるんですよね。強いて言えば、恋愛よりもそのキャラがそのキャラで居続けていることを望んでいるんだろうけど、それをなぜわざわざCPで描こうとしてるのか……。
これまでは手癖で短編書いてたんですけどね。今になって考えればそれもお試し期間みたいなものだったのかも。色んなワンカットを書いてみて、そのキャラがどう思うか探ってるみたいな。
そのお試しを踏まえて今は多分、人生哲学というか、なんかちょっとそっち系に走ってる気はしてます。
でね、昨日もちょっとごちゃごちゃ言ったけど、二次創作の対象って非現実ヒューマンなんですよ。こういうとあれだけど、生身じゃない分、自分の願望やらが顕著に注がれるわけで。だからまぁ、自分のやりたいこととか、してほしいこととかがね、無意識に表現されちゃうものなんじゃないかと。そのままの願望がストレートに現れるものでもないとは思いますが。どっちかというとフロイト系列の夢に近いような。 夢は無意識の王道というかなんというか。
そういうのもあるから、私が考察・解釈と書いてても、全部「もうそう」と読んで欲しいなって。原作順守の二次創作って存在しないものなんですよね。この辺はちょっとイデア論に近いかも。
例えば、キャラの性格が原作から外れた二次創作に対して自分が何か違和感を覚えたとして、そうした時に基準となるのは原作ではないんですよ。基準となるのは、"原作を読んだ自分"なんです。でも自分の正しさをどこまで証明できるかって言われたら、わかんないじゃないですか。一次創作は自分が全だけどね。二次創作はね、"原作を読んだ自分"という、そもそもの基準がパチモンなんですよ。
だから……こう、何が言いたいのかよくわかんなくなってきたけど、二次創作は二次創作らしくしていこって話です。多分、我々がもっとおしとやかな人種であったら、公式が紙の月に水をかけてくることもなかったんだと思うんですよね。下世話な週刊誌がなんでなくならないかって、我々が下世話を求めているからなんです。需要と供給ってね、需要が先でしょ。経済活動においてはね、求めるから、与えられるんです。
実際求める声がね、大きかったんだろうね……。イヤミさんよりも、中の人を求める声の方多いと判断されたからこそのアレだったわけでね……。
もうなー、様式美みたいなものが好まれない時代なのかもね。
めちゃイケとかもその辺の割を食ってた気がするけど、まずフィクションってことが前提にない感じがするんですよね。エンターテイメントと現実って別物じゃないですか。というか、現実にどうしようもない悲しみがあるから、エンターテイメントが求められるわけじゃないですか。アニメなんてその最高峰じゃん。キャラクターが紙でできた月だってみんなわかってて、わかった上で今日も月が綺麗だねって言ってたのに……。あんなの……どこに愛があるっていうんだ……。
めちゃイケとかもその辺の割を食ってた気がするけど、まずフィクションってことが前提にない感じがするんですよね。エンターテイメントと現実って別物じゃないですか。というか、現実にどうしようもない悲しみがあるから、エンターテイメントが求められるわけじゃないですか。アニメなんてその最高峰じゃん。キャラクターが紙でできた月だってみんなわかってて、わかった上で今日も月が綺麗だねって言ってたのに……。あんなの……どこに愛があるっていうんだ……。
平成後期、SNSに大分混ぜ繰られてる気がします。
でも人が本当に心の底から求めてるものって、SNSにあるんだろうかね。
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