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旅は道連れ、世は情け。 アニメや漫画の話題やら諸々。デジモンが好きです。検索は避けてるよ。

執着

ここの所このブログ、人生哲学スピリチュアル系に走ってるような気がしてるけれど、言いたいこと言い終わったらやめるだろうから、もうしばらくの間我慢してくれよな!

ってなわけで今回のテーマは「執着」です。
なかなか面倒なテーマですね。しかしここは所詮二次創作してる人のブログ……執着があると幸福が云々だとか、ワクワクを見つけていこうだとか、座禅で世界が変わるとかそんな感じの話をするわけではありません。そっち系のはちゃんと色々と説明してくれる場所がどこかにあるから、そういうのを探して読んでね。あとそういう所を見るときは、信頼できる文章かどうかを逐一判断したほうがいいよ!良い記事もたくさんあるけれど、同じぐらい怪しい記事もある!参考文献程度に考えてないと、メンタル弱ってる時だったら心酔・妄信する可能性も無きにしも非ず!

ってなわけで、執着に話を戻しますね。

まず執着とは何ぞやって話ですけれど、毎度おなじみwikiさんによるとこう書かれています。『仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。』なるほど、仏教用語なわけですね。これは私も今初めて知りました。

それはともかく、なんで唐突にこんな話を始めたかって、二次創作を行うにあたる基本エネルギーは「執着」ではないかと!思ったからなのです!

とはいえ私は長い事ぼっち一筋、二次創作において他人とまったく交流ない人間です。なのでみんながどうなのかは正直さっぱりわかんないです。確かめようもないし。なのでこれ、「執着ではないかと!」と大仰に言ってみましたが、単純に私がそうだなってだけです。統計一人なので100%確実ではあるのですが、だからなんだという訳ではありません。単なる自分語り、つまりはいつものことですのでさらっと流して話を進めますね。


私は二次創作初期と中期と後期で、書く理由が大幅に変わった人間です。

初期はね、二次創作やってて一番楽しい時期だった。「え!自分であの作品のアナザーストーリー書ける世界なんてあったんだ!すごい!あのキャラを自分で表現できるなんて夢みたい!楽しい!!」ってね、すごく純粋に楽しんでたよね。評価も全然気にしてなかったし、自分だけの箱庭が創れることが楽しくて仕方なかった時期です。どのジャンルの作品もそうなんですけど、最初に書いた文章が自分の解釈的にも一番合ってる気がしてます。理屈抜きで、自分の書きたいものを自由に書いてる感じがして。

で、中期。これが地獄期ですね。とにかく評価が気になってた。一般水準的には欲求は低い方だったかもしれませんが、それでもやっぱりこう「恋愛を書けば人は喜ぶ」を意識してた時期でした。カウンターを気にしてたね。気にしてた割に特に何の活動もしなかった所は自分らしくて好きですが、それでもまぁしんどかった。何のために書いてんだろうって常に思ってたもん。登場人物がテンプレート化してて、これ名前変えたら誰にでもなるんじゃねぇかってなって、一気に作品を消したんですよね。バックアップすら残さない潔さでした。ちょっと戒めに近かったかもしれない。最近の恋愛テンプレート作品観て微妙な気持ちになるの、多分古傷が疼くからなんだと思います……。

という時期を経て、後期です。この支配(執着)からの卒業期。
このあたりから作品・キャラ解釈を本格的にやり始めました。「この台詞を言うとき、この表情をする時、この環境下にある時、キャラは一体何を考えているのか」っていう、どちらかと言えば人間解釈に近いものかもしれません。書きたい設定よりも、キャラを活かすことに情熱を捧げてたんですが、こいつがなかなか難しい!わかんねぇんだもん!

それでも分かんないなりに誠心誠意込めて台詞やシーンごとの表情、そのキャラの経験等を踏まえて色んなものを構築していきました。これやってる時がちょうどヒロアカだったんですけど、単行本全巻を手に取れる場所に常に置き、発言・口調・過去・心情の確認をずっとやっててめちゃくちゃ疲れた。挙句ミスってるところ多々あります。読み返すたびに矛盾が気になる!でも書き直すの大変だからもういいや!って。ちなみにヒロアカの奴は原作とキャラブックの知識だけで書きました。つまりはドラマCDやら小説やらアニメやらの設定は皆無です!というか観てないからね!

単行本を買うほど好きな作品のアニメが総じて見れないという謎メンタル持ちなんです。お陰でアイシールドもブリーチもホイッスルもアニメ未視聴!その為にファン失格と思われても仕方ないかもしれませんが、まぁその辺は知ったこっちゃないよね!

話が逸れまくちゃった。

後期になるとね、書きたい!って気持ちが先じゃなくなってきたんですよね。このキャラ達のこういう話が書きたいから書くってんじゃなくて、その前に原作からなんらかのモヤモヤを感じるんですよ。原作のストーリーがどうこうって訳じゃないですよ、単に原作を見るという行為によって生じた自分の心のモヤモヤです。何かを原作から感じ取っているようだがそれが一体なんなのかわからない、みたいな。

で、わからないからずーっと考える羽目になるんです。ご飯食べてても風呂入っててもトイレ行ってても、ずーっと何を感じたかを考え続けてる。この話を読むことによって自分が何を受信したのか、何故こんなにも気になるのか、というかあのキャラは何故こんな風に考えるようになったのかって。あのキャラってまぁ緑谷くんと爆豪くんなんですけど、何故あの二人はお互いに執着しているのかをね、もうなんか幼馴染の呪いでも食らったのかな?ってぐらい考え続けてた。

そんで考え続けるのにすげぇ疲れちゃって、そしたらもう書こうって。書いたらなんかわかるかもしれないって。でもこれ書き始めたら永遠に終わんねぇなってなって思ってダイジェスト風にして、その結果割と失敗したんですが、自分的には結構満足してるんですよね。書くことによって、幼馴染への執着が消えたから。そしてその執着が割と自分の事にも通じていたというか。自己との対話に近い場所に位置していたのが、幼馴染の対話であったというか。だから二次創作って実は、自分でも気付かず潜んでいた、自身の執着を昇華させる為の作業だったのかもしれないなって。

ふふふ、なんて面倒な話なんだろうね!
二次創作ぐらいもっと心安らかに書けって話ですよ。まぁ全部が全部そんな事思いながら書いてるわけじゃないけどね。勝茶とか夢でみた話を書いてるわけだし。

とにかくそれらを経験して思ったことは、執着から解放されるって、その事にもう悩まなくてもよくなることなのかも知れないってことです。囚われるのは本当にしんどい。ずーっとそのことを考えっぱなしだもの。全ての出来事がその事に向かっていくから、良いも悪いも。

でも解放された途端、なんでその事で悩んでたのかわかんなくなるんですよね。で、なんかめちゃくちゃ楽になる。心が。どっちかってーとメンタルヒーリングに近い気もする。こんな事考えてる人、他にいないかもしんないけど、この感じは今の時代にこれだけ二次創作が流行ってるのにもなんかどっか通じてるんじゃないかなぁ。

二次創作って、執着の有無に限らず疲れた現代人の心の拠り所だったりストレス発散の場所だったりになってる部分が少なからずあるじゃないですか。だからこそ、二次創作にはいつまでも自由に自己表現が出来る文化としてあり続けて欲しいんですよね。そりゃある程度の礼節は必要だけど、必要最低限以外はいつまでも自由であって欲しい。誰かの為にってのは仕事で嫌でもやるからさ、趣味ぐらいは自分の為だけにね。

誰かの意見は、あくまでも誰かの意見であって、自分のそれとは関係ないんだ。
怯えずに生きていこうぜ、現代!
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