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旅は道連れ、世は情け。 アニメや漫画の話題やら諸々。デジモンが好きです。検索は避けてるよ。

それを愛と呼ぶ


タケルくん青年var。

もっとアグレッシブに描きたいんだけど、タケルくんには動きのあるポーズがすごく似合わないんですよね。

基本的に静の構えなんだよなあの人。立ち絵とか、座ってるとことか。それと、筋肉が似合わない……筋肉描きたい……。そんなときには爆豪くんの存在がとってもありがたいです。黒タンクトップ、筋肉描き放題だもの!二の腕大好き。顔はいいから二の腕だけ描いてたい気持ちの時すらある。

そんな私の偏った趣味はさて置いて、この間自分のハマる人々に共通するものをついに発見したので、否応なしに聞いてください。


それはズバリ!「壁」でしょう!(cv:丸尾くん)


壁……それは人々を巨人の脅威から100年守ってきたもの……ではなくて、そのCPがくっつくためには絶対に超えなければならないもの、それをキャラ達に超えさせることを、なんか……私が個人的に望んでいる感じ……(曖昧)

あー例えば、立春ちゃんだったら、彼らの間に立ちふさがっているものは「サッカー」なんですよ。個人的にそう思ってるだけなんですけど。で、勝茶だったら「デクくん」が壁、彼らの関係はデクくんを介して発生してるから。体育祭だけ見るとその限りではないけど、でもまぁデクくんが少しも関係しない勝茶はありえないでしょうから。原作的にも。
タケヒカちゃんは……ネタバレになっちゃうからあんま言いたくないのでスルーしますが、スケールは一番でかいです。

なんかこう、強く在ってほしいんですよね。男の子にも女の子にも。
その人の思うまま、笑ったり、傷ついたり、悲しんだり、喜んだりして、そうやって人間としての成長を遂げてほしい。壁を超えて欲しいのもたぶんその一環。そんで、一人の人間としての成長のその先に、愛があることを望んでいるのです。


立春ちゃんは、理想の愛。勝茶は、尊厳交じりの愛。タケヒカは、彼らにしかわからない愛。みたいなもの貫き通してくれることを、心のどこかで望んでいる気がします。だからなんか、テンプレカップルをいちいち拗らせちゃうんだよな……。僕の悪い癖です。
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8月1日!


「おら、もっと笑えよコロモ~ン」
「い、いひゃいよタイチ!」

多分これ初期のやんちゃ太一さんだから、この後すぐ「やめろよ!嫌がってんだろ!」ってヤマトさんにマジ切れされちゃうやつ。そんで空さんが「2人とも、いい加減にしてよ」って呆れながら言うんだ。光子郎くんは喧嘩に無関心で、丈先輩は空回ってて、タケルくんは喧嘩におろおろしてて、ミミちゃんは「ねー、私お腹すいたー!」って自由。

どうも、デジモンを拗らせているわりに8月1日に特に何のお祝いもしない事で有名なetoです。

当日にブログ書いてることすら珍しいレベルの怠惰者でございます。なぜって、8月1日は皆さんが素敵なイラストやら小説をアップしてくださるから、それをチェックすることばかりを考えているのですよ!私はいつだって他力本願!


でさ、いつの間にか5章の新ムービーが追加されてたね。tri.。ジエスモンがいたね。
てかね、もうね、tri.に関してはコメントが難しいYO。……みんな、楽しんで!私も5章観るけど、観るだけになる気がするよ!しかし、わしだって、こんな気持ちになりたいわけじゃなかったんじゃよ……。このブログにはないけど、前サイトの日記でな、続編決定の時、それはそれはアホみたいに喜んだんじゃよ………綺麗な気持ちのまま、生きていたかったもんだぜ。

とはいえ、tri.の存在が私の進化を促してくれたのもまた事実!
みんながいつの日かtri.を忘れてしまっても、私だけはあなたがいたこと、ずっと覚えているわ。

それとタケヒカ小説の件ですが、まじめにいつ完成になるんだかわからないです。こねくり回したい設定が、まだまだ山ほどあるのです。あとまぁ、私にとっては間違いなくタケヒカなんですけど、タケヒカ好きの人にはあんまりオススメできないかも。というか、誰にも理解されない可能性すらある。彼らには、すっげぇ面倒くさい道を辿って頂く予定です。みんながどう思おうが、私はそれを愛と呼ぶんだぜ!って感じ。

もし完成を待って下さっている方がいらっしゃるならば、すごく気長に、待って頂けると幸いです。

彼は完全無欠のヒーローだから



久しぶりに落書きしたんですけど、爆豪くんって超難しい!

何回描いてもモブのクソザコにしかならなくて、もう爆豪くん一生描けないんじゃないかと思ったら、どうにかこうにかチンピラレベルには落ち着いてくれました。爆豪勝己の落ち着いた表情を、爆豪勝己らしさを失わずに描ける人、ものすごく純粋な気持ちで尊敬する……。

意図せず超キレさせてしまったけど、きっとまたデクくんとなんやらかんやらあったんだろうね……。そう思っといてね……。


ついでにちょっとヒロアカの話をしますけども、デクくん(オールマイト)の正義って、ある種の人格否定にも似てるんじゃないかなって、こないだ不意にそう思ったのです。人格否定っていうとあれだけど、あの人たち、なんというか、誰それ構わずヒロインにしちゃうとこあるじゃないですか。

爆豪くんとか何回もヒロインにされてるけど、あの人は囚われの身になってしまう場合がほとんどなので、一旦はしょります。問題はお茶子ちゃんです。お茶子ちゃんのヒロイン化で真っ先に思い浮かぶのは、そうですね、デクくんが初めて個性を使った記念すべき入試試験ですね。とはいえ、あれは助けられてしかるべき場面だし、その後、お茶子ちゃんもお返しにデクくんを助けてますので、そこまでヒロイン!って感じはしないかもしれません。

だがしかし、仮免試験はそうもいくまいよ!

あ、アニメ派の人はちょっと気を付けてね!今からしれっと単行本12巻の軽いネタバレが入るよ!



偽麗日さんを、デクくんが助けるシーンがあるじゃないですか。単行本12巻の119ページの1コマ目ね。
その後なんやかんやで偽麗日さんを見抜いた後、デクくんは麗日さんが短時間なら副作用なしに自身を浮かせれることを知っているとの発言しています。無策で飛び出してドジを踏んで個性も使わないなんて、僕の知ってる麗日さんじゃないとまではっきりと言い切っている。で、「敵と知ってて助けたの?」と問う偽麗日さんに、「そこまで頭回ってません、でも結果的によかった。浮かんだりできないなら、あのままだと背中を痛めてた」って返すデクくん。

と、いうことはだよ。
彼は、それが麗日さんだろうが無かろうが、構わず助けていたということだよね。「結果的によかった」って言ってるから。麗日さんの個性が、落ちるって事に対して最も力を発揮する個性だとわかっていながら、麗日さんのことを信じていながら、彼は彼女を助けるために飛び出したんです。

「彼の目指すヒーロー」としては正しい行為だったかもしれないけど、本物の麗日さんにとってはどうなのかって話です。ある側面では、その行いはヒーローとしてのお茶子ちゃんを信頼していないと取られる可能性もあるじゃないですか。なんというか、背中を預ける、というようなものとは正反対の性質を持ってる感じ。

助ける人間をね、デクくんは区別しないの。オールマイトもそう。目の前に映る、今自分に助けられるものを、すべて助けるという正義を掲げているの。でもその潔癖に近い正義は、例えば同業者にとっては、自身を信頼していないが故の侮辱行為ともとれてしまうのではないか。と、なんかそんなことを不意に思ってしまったのです。

で、何でそんなこと思ったかって、こないだから出茶のことをちょっと考えてたからなんです。

デクくんはね、お茶子ちゃんをヒロインにしちゃうんだ。別にそれはお茶子ちゃんに限らず、彼は全人類をヒロインにするんだけど……言い方を腐らせれば人類総攻め……。隙あらばオールマイトすらヒロインにしちゃう子だよ。あいつ、まじやべぇやつだぜ。

だからお茶子ちゃんがヒーローでいたいのなら、爆豪くんのがいいんじゃないかなって、ね……?
彼は傍若無人のくせに結構人を見てて、それでいて信頼して身を任せたりするから……。体育祭の時にすでにそうだったもの。頂点を目指す姿勢を持って、意図せずとも切島・芦戸・瀬呂くんまで奮起させていたじゃん……?

麗日さんがピンチの時、「僕が来たから、もう大丈夫」って助けてくれるのがデクくんで、「なにチンタラやってんだ、てめぇもヒーローだろうが!」って助けもせず怒鳴るのが爆豪くん。デクくんはヒーローの麗日さんを1人の女の子にしてくれ、爆豪くんはずっとヒーローにしてくれるぜ……。っつっても、なんにせよ原作次第だけどね!


でもなんか、デクくんには、一種の依存性があるんだよなー。
そしてそれが必ずしも誰かの向上性に繋がるわけではないのだ……。デクくんはデクくんのことを続けてるだけで、別に誰をどうこうしようという気持ちはないんだろうけど。なんというか、性質的に?

デクくんの正義との関わり方は、テレビ画面越しとかが一番いい距離感な気がする。壁一枚隔てる感じで。
あの人の隣りに立つのはなかなかにしんどそう。で、それをやらずにいられないのが爆豪くんなんだろうね。爆豪くんがデクくんに勝とうと頑張ってる限り、デクくんは理想の正義の上に1人にはならないから、なんかそういうとこが、あの2人のある種の友情と呼べるのかもしれないね。

こんな世の中だからこそ

心理学者のアルフレッド・アドラー

「他人から承認される」というのは「他人の欲望にとって都合のいい存在であると認められる」ということ。

一般論として「自己肯定感の低い人」には子供の頃「条件付きでしか褒められなかった」という人がとても多い。「条件付きで褒める」とは親や教師など周りの大人にとって都合のいい行為をした場合に褒められるということで、それは「他人の欲望」に従属しているに過ぎず、自己の存在そのものを肯定し、価値を見出しているということにはならないのです。

重要なのは「良し悪し」のような価値の基準を「他人」ではなく「自分」の中に持つということであり、それが「自己を肯定する」という意識の本質なのです。


だから僕らは体育祭で優勝した時の爆豪勝己を目指さねばならぬのだ……。

爆豪くんの価値判断に、デクくんの存在自体は関係するけど、デクくんの承認は多分必要としない。でもデクくんの価値判断には、かっちゃんの承認が必要な部分がある気がする。オールマイトよりも、もしかしたら彼は爆豪勝己の「すげぇな、デク」って言葉を求めているのかもしれない。拗らせ度を考えたときに、かっちゃんは表現が派手だから大げさに見えるだけで、実際はデク君の方が根が深い気がするなー。なんつーか、すごく重そう。


閑話休題。


さて、突然ちょっと気持ち悪い話をしますけど、個人的に二次創作っていうものは、自己表現の一種だと思ってて。

恋でも愛でも悲哀でもなんでもいいですけど、作品を見て湧きあがってくる感情があって、それは自分自身の何かしらの経験や考えた事に沿ってせり上がってくるもので、それをさ、本当にぶつけたい場所にぶつけられないフラストレーションからきてんじゃないかなって。はっきり言っちゃえば、代替作業というか。勿論それがすべてとは言わないけど、どんな作品にも多かれ少なかれ個人の主張したいという想いが存在すると思うんですよ。それがなきゃ二次創作する意味ないし。

だからね、なんというか、そういう個人の想いみたいなものが1ミクロンでも含有されているはずの二次創作に対して、あんまりマイナスの感情を向けるのはどうなのかなって話です。そういうのに巻き込まれるのが怖いから私は人里離れて霞食べて生きていくことにしてるんですけど、意図せず結構そういうの見かけるからさ。仕事ならともかく、趣味ぐらいは無血でいようぜ……!

だけど、もしかしたら趣味も戦争な世界になってきているのかもしれない。
昔は個人サイトにお邪魔して、なんなら秘密のパスワードまで管理人さんに手渡しで貰って作品を拝見させて頂く個展形式だったのが、今はランキングという競争社会が主流になっているものね。他人の主義主張を蹴落とし蹴散らし、己の野心がままに昇りつめていくのが現代のスタイル?やだ、世知辛い!

それでも正面からメンチ切ってくるなら正々堂々としてて好きだけど、今はちょっと違う感じするよね。本当の悪人は善人の顔をして近づいてくるのだ。二次創作に正義もくそもないのにね。なんなら二次創作に携わっている全員もれなく著作権に引っかかってるからね。win-winの関係だから見て見ぬふりされてるだけで、グレーゾーンから振りかざせる正義なんてひとつもないのよ……。犯罪者同士仲良くしようよ……。

……いや違うか、プリズンブレイクでも受刑者同士で超確執あったね。
仲良くなんてしてなかったわ。そうか、無法地帯だからこその結果か、なるほどね。おっけ!俺ティーバック役!ティーバック知らない人は今すぐプリズンブレイク見ようぜ!近年稀に見るクズだから好きな人は好きだし、嫌いな人は生理的に無理なキャラだよ!!

今はもういっそ、二次創作ってのは総合格闘技だと思っといた方がいいのかも。
殴っても蹴っても絞めてもいいけど、最低限のルールは順守する感じで。総合格闘技でも、急所のうち特に人体に危険を及ぼしうる部位への攻撃については、安全性への観点からほぼ全ての大会で禁止されているらしいよ。wikのコピペだよ。そして団体によってルールは違うからさ、pixivやtwitterや個人サイトやら、自分に一番適したリングで戦おう。

リングの上にいながら「ひどい!殴られた!」って訴えるのはもはや時代が許さないんだ。pixivにいたらランカーとの戦い、twitterならストリートファイト、個人サイトなら己との戦い……。どこにいても平和な場所などない!そうだ、戦え!戦わなければ生き残れないのだ……!


……なんの話だこれ。


和平を求めていたはずなのに、最終的には戦争を煽っているね……。

とりあえず、ある程度の自衛と心構えが必要だよねって話でまとめたいと思います。二次創作はリングで、作品をアップした瞬間に試合開始のゴングもなっているんだと思って、ガードはがっちりとね。ノーガードだらり戦法はある限られた戦士しかやっちゃいけないやつだから。

ただ、二次創作は戦いかもしれないけれど、個人的には、ガンジーのような勝利を推奨しております。


暴力によって得た勝利というものは敗北に等しい。それはつかの間のものだからである。


つまりはそういうことだよ!たぶん!

なぐりがき

ちょっとメモ。


ナインストーリーズ『テディ』より

「つまり、あるがままの僕たちを愛することはできないらしいんだ。ぼくたちをちょっとばかし変えないことには愛せないらしい。彼らは僕たちを愛すると同時に、ぼくたちを愛する理由を愛しているんだ。いや、理由を愛してる時が大部分だな。そういうのは感心しないよ」


ピート・ハミル

「自分の孤独の時間を自分できっちりできないような人には、他人を愛する資格はないと思う。一人で生きていくことができて初めて、人を抑圧することなく愛せるんだと考えている」


うーん、自分の中の2017年のテーマは「愛と死」なのかもしれない……いやー、妙に重いな……。