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旅は道連れ、世は情け。 アニメや漫画の話題やら諸々。デジモンが好きです。検索は避けてるよ。

己の声が聴こえるか

改めて自分のブログ見直してみたら、あまりにも二次創作についてうだうだ言いすぎてたのでいい加減自重します!二次創作に人生を救われた身として、天国であれ地獄であれ、文化の行く末を静かに見届けよう……。二次創作文化に幸あれ……!

駄目だなぁ……ちょっと気が緩むと「あ?てめぇ何様だよ」って事をぐだぐだ書き連ねてしまう。これからも言いたいことは言っていくつもりですけど、感情論挟んだらアウトですね。文章がわかりにくくなるし、なかなか怒気が強くなっちゃう。気を付けよう。

よし!一人反省会終わり!

あ、あともう一個反省があった!前回の記事でデジモン二次創作歴8年って言ってましたが、ちゃんと数えたら9年でした。そんでデジモン以前からの二次創作歴を含めると13年ぐらいみたいです。13年間、怒涛のぼっち。文字に起こすと一種の狂気すら感じる年数ですね……!

まぁそうは言っても一人ぐらいは交流があるのでは?と疑問をお持ちの方もおられるでしょう。おられなくても続けますよ。本当にないです。


ネット上での交流なし!イベント参加なし!薄い本だって一度も買ったことがない!!


それで13年間ですよ。確実に気が狂ってるよね。
とはいえ拍手で暖かいメッセージを頂けることもあります、一年に一回ぐらい。多くて。感想を求める心が話題になる昨今ですが、あんまりなくてもね、一応続けることはできるよ。でもそれは二次創作に何を求めるかでも違ってくるとは思いますが。

反応・共感・感想・肯定を求めてるなら、やっぱり人気のある所で、多くの人に好まれる作品をばんばん作っていった方が効果的でしょうしね。それは本当に個人個人で分かれるところだと思います。単純に好みの問題。

経験上、二次創作に人生哲学を求める場合は、ぼっちでも続けることは可能のようです。
そんで哲学を求めてる場合、キャラ解釈・作品解釈が最優先にならないんですよ。最初にはね、「問題提起」がきます。ちょっと妙な言い回しにはなりますが、その提起した問題を解決するために、作品の世界観・キャラの性格を使用するって感じです。うん、非常にわかりにくいですね。

なんていうのか、個人に潜む感情・問題を解決するために、作品やらキャラクターやらのフィルターを通すというか。数学で言うと、作品のテーマになる部分が「解くべき問題(三角形の面積を求めよ)」で、作品とキャラが「問題を解くのに使用する公式(底辺×高さ÷2)」って感じです。うん、やはりわかりにくいですね。

まぁこんな考え方してる人の方が確実に希少でしょうから、なんにせよ「マジこいつやべぇな」って感じでライトに捉えて頂ければ。

本来は個人の問題を解決するために、作品やらキャラを通す必要はないんですよね。キャラ萌え追及の方がよっぽど健全な二次創作の楽しみ方だとは思います。でも楽しみ方は個人の自由だから!てめぇの私情が入った二次創作なんて見たくねぇわって方もいらっしゃるかもしれませんが、私情の入ってない二次創作なんてこの世に存在しないのでその辺はどうにか許して頂きたい!

私もね、座禅やらで自己との対話が可能ならそっちの方がいいとは思っているんです。自分の問題提起の為になんて、実際キャラにも作品にも申し訳ない気持ちが芽生えますし。でもこれが難しいの!自分をどこまで客観的に見ているのか自分では判断ができないんですよ!なんせ主観が自分だから!

なのでこう、二次元キャラという他者の目を通して自身の問題を客観的に見させて頂いている訳で、だからこそせめて感謝と敬意だけは忘れないでいようって、私の二次創作スタンスはそういう感じです。

こんな小難しいこと考えるようになったのは流石に最近ですけど。最初はもっとぱっぱらぱーだった。ひゅー!ふたりラブラブじゃん!いえーい大好き可愛いね!みたいなノリだった。それはそれですげぇ楽しかったけど。

ここまで読んでくださった方がどれだけいらっしゃるかわかりませんが、何が言いたいかというと、私という人間は大変面倒くさい部類に入るという事です。ぼっちな理由がお分かり頂けたことでしょう。自分でも正直自分の事クソ面倒くせぇって思います。でも仕方ないんだ、今生はそういう人間として生まれてきたんだもの。

面倒臭さも貫き通せばアイデンティティ!怯えるべきは他者の声ではなく、自分の影だ!
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愛を込めた妄想と共に

あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。(エレノア・ルーズベルト)


しばらく気が狂ったように日記書いてたから、反動ですっかり遠のいてました。お久しぶりです、etoです。

まぁそもそも月に一度ぎりぎり書くか書かないかで8年ぐらいやってきてるもんですから、どちらかといえば今の更新頻度の方が異常です。メンタル的にもしらばく異常だった気もしますが、もう乗り越えたので大丈夫です!多分!

ここ最近、ただでさえ少ない訪問者の方々が離れるようなことをぐだぐだ言っていた自覚があるのですが、今さっき解析を見てみたら何故だか増えててびっくりしました。ど、どうして…?8年ぐらいずーっと横ばいだったから、急に増えると不安になる。いや、ありがたい事ではあるんでしょうけども。でもここ、自分でも何のためにあるんだかよくわからなくなってきた場所だからなぁ。あ、違うやtri.のあれこれの為に置いてるんだった。あといつ完成するんだかさっぱりわからないタケヒカの報告の為にだ!うわぁ!あと何年やればいいんだろう……?

タケヒカどころか立春も全然だしね。明日は記念日なのに。もう間に合う気がしない。せめて来年の2月4日には完成させよう。そうしよう。はっはっは、目標が長期的すぎるのはいつもの事だぜ!勘弁してくれよな!

あとね、地味にヒロアカの小説書き直したいんですよね。幼馴染の方。やっぱり完成を急ぎ過ぎるとロクなことないですね。自分で読み返してて話が頭に入ってこないもん。ただあれ、書き直すとまた長くなりそうなんだよな……うーん……まぁ、なんか気が向いたら書き直そう。そうしよう。はっはっは、言うことがころころ変わるのもいつもの事だぜ!辛抱してくれよな!


さて、話は唐突に変わりましてタケル君の事です。

私は、大人になったタケルくんが光子郎さんのいるデジモン研究所に足しげく通う(※執筆の為)というシチュエーションが何故だか妙に好きなのですが、そうなってくるとなんかこう、モブ研究員がうらやましいんですよね。泉所長の部屋から出てくる高石先生とか、太一さんと仲良さげに話している高石先生とか、デジモンの生態についての調べ物をしてる高石先生とかが日常的に見れちゃう訳でしょ?ずるくない?そんでもって「ごめん、あのデジモンの研究データどこにあるか知ってる?」とか聞かれる可能性も無きにしも非ずな訳で、そんで軽やかな笑顔で「ありがとう」なんて言われた日には!ねぇ!……てか、なんかこの思考って夢女子っぽいな!

……え?ちょっと待ってくれよ自分、ここにきてタケルくんに今更恋を覚えるの?てかタケルくん単体に恋を覚えたのってもしかしたら初めてかもしれない。今まではヒカリちゃんに恋を覚えるタケルくんに恋をしてきたわけだから。ええー…戸惑う……。なにこの感情。ヒカリちゃんに初めて恋を自覚した高石君も、もしかしたらこのような戸惑いを覚えたのかもしれない……やだ、素敵……!

うん、ちょっと落ち着こう。

違うんだよ。私のはそれじゃないんだよ。高石タケルと八神ヒカリのそれを私は愛しているんだよ。ただ彼らのそれが恋かと言われるとまたこう……色々思う所があるんだけど。でも愛はあるんだ。彼等の間にしかない愛が、確かに、あるんだ……。

本当に難しい2人だなぁ。立春ちゃんを見習ってほしい。いやあっちもあっちでなかなか面倒だけど。勝茶は最近恋をする可能性すら危うくなってきましたよ、私の中で。だってお茶子ちゃんがデクくんを守りたいって言うんだもん。茨の道を渡りたいって言うんだもん。そしたらこう、頑張ってねって言うしかなくなっちゃうよね。まぁ正直作中で表現あるのは茶→緑であって、勝と茶は恋的なものなど特になんにもないんだよな……なんにもあればいいのにな……!

まぁなんにせよ妄想なんだけどね!

最近結構二次創作の解釈やら考察やらがどうのこうのって話題多い気がするけど、なんでみんな個人の妄想に対して強気なんだろうね。そもそも二次創作自体、人の褌で相撲を取ってるグレーゾーンの悪行なんだから権利もクソもないじゃない。どれだけキャラ解釈してようが、作品考察してようが、二次創作を行うという行為そのものが褒められたものじゃないもの。利益に繋がるから公式からもほんわりと許されているだけで、やってること自体は中国のパチモンキャラ製造みたいなもんだし。「私がパチモンを作れば、あんたもパチモンを作る。それでいいじゃないか」って許し合っていこうって幻海師匠も言ってたよ(言ってません)

まぁでもそうか、パチモンにもパチモンの世界があるものね。そういうパチモンバトルに怯えて私もこんな辺鄙な場所で一人でぶつくさ言ってる訳だしなぁ。どの界隈にもジムリーダー級の強者はいるし、人々はパチモンマスターを目指しているって事か。となると、目が合ったらバトルするのはパチモン界のルールな訳か!そうか、なるほどね!世界の仕組みを理解できていないのは私の方だったってことか……!

戦って、経験値を得て、レベルを上げて、時々は野生のアンチが飛び出してきたりしてね。何度も夢を諦めようとしたけれど、僕らには共に高みを目指す仲間がいる。例え火の中水の中草の中森の中土の中雲の中あの子のスカートの中だって、なかなかなかなかなかなかなかなか大変だって、憧れのパチモンマスター目指して僕らは今日も戦い続けるのだ。頼んだぜぺカチュウ!得意の『からげんき』だ!


そうなると私は最初の町で8年引きこもってるってことになるわけで、パチモン界的にはそっちの方がヤバい奴だよね。初期パチモンと永遠に遊んでるとか……わぁ!それはガチでヤバい奴だ……!

執着

ここの所このブログ、人生哲学スピリチュアル系に走ってるような気がしてるけれど、言いたいこと言い終わったらやめるだろうから、もうしばらくの間我慢してくれよな!

ってなわけで今回のテーマは「執着」です。
なかなか面倒なテーマですね。しかしここは所詮二次創作してる人のブログ……執着があると幸福が云々だとか、ワクワクを見つけていこうだとか、座禅で世界が変わるとかそんな感じの話をするわけではありません。そっち系のはちゃんと色々と説明してくれる場所がどこかにあるから、そういうのを探して読んでね。あとそういう所を見るときは、信頼できる文章かどうかを逐一判断したほうがいいよ!良い記事もたくさんあるけれど、同じぐらい怪しい記事もある!参考文献程度に考えてないと、メンタル弱ってる時だったら心酔・妄信する可能性も無きにしも非ず!

ってなわけで、執着に話を戻しますね。

まず執着とは何ぞやって話ですけれど、毎度おなじみwikiさんによるとこう書かれています。『仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。』なるほど、仏教用語なわけですね。これは私も今初めて知りました。

それはともかく、なんで唐突にこんな話を始めたかって、二次創作を行うにあたる基本エネルギーは「執着」ではないかと!思ったからなのです!

とはいえ私は長い事ぼっち一筋、二次創作において他人とまったく交流ない人間です。なのでみんながどうなのかは正直さっぱりわかんないです。確かめようもないし。なのでこれ、「執着ではないかと!」と大仰に言ってみましたが、単純に私がそうだなってだけです。統計一人なので100%確実ではあるのですが、だからなんだという訳ではありません。単なる自分語り、つまりはいつものことですのでさらっと流して話を進めますね。


私は二次創作初期と中期と後期で、書く理由が大幅に変わった人間です。

初期はね、二次創作やってて一番楽しい時期だった。「え!自分であの作品のアナザーストーリー書ける世界なんてあったんだ!すごい!あのキャラを自分で表現できるなんて夢みたい!楽しい!!」ってね、すごく純粋に楽しんでたよね。評価も全然気にしてなかったし、自分だけの箱庭が創れることが楽しくて仕方なかった時期です。どのジャンルの作品もそうなんですけど、最初に書いた文章が自分の解釈的にも一番合ってる気がしてます。理屈抜きで、自分の書きたいものを自由に書いてる感じがして。

で、中期。これが地獄期ですね。とにかく評価が気になってた。一般水準的には欲求は低い方だったかもしれませんが、それでもやっぱりこう「恋愛を書けば人は喜ぶ」を意識してた時期でした。カウンターを気にしてたね。気にしてた割に特に何の活動もしなかった所は自分らしくて好きですが、それでもまぁしんどかった。何のために書いてんだろうって常に思ってたもん。登場人物がテンプレート化してて、これ名前変えたら誰にでもなるんじゃねぇかってなって、一気に作品を消したんですよね。バックアップすら残さない潔さでした。ちょっと戒めに近かったかもしれない。最近の恋愛テンプレート作品観て微妙な気持ちになるの、多分古傷が疼くからなんだと思います……。

という時期を経て、後期です。この支配(執着)からの卒業期。
このあたりから作品・キャラ解釈を本格的にやり始めました。「この台詞を言うとき、この表情をする時、この環境下にある時、キャラは一体何を考えているのか」っていう、どちらかと言えば人間解釈に近いものかもしれません。書きたい設定よりも、キャラを活かすことに情熱を捧げてたんですが、こいつがなかなか難しい!わかんねぇんだもん!

それでも分かんないなりに誠心誠意込めて台詞やシーンごとの表情、そのキャラの経験等を踏まえて色んなものを構築していきました。これやってる時がちょうどヒロアカだったんですけど、単行本全巻を手に取れる場所に常に置き、発言・口調・過去・心情の確認をずっとやっててめちゃくちゃ疲れた。挙句ミスってるところ多々あります。読み返すたびに矛盾が気になる!でも書き直すの大変だからもういいや!って。ちなみにヒロアカの奴は原作とキャラブックの知識だけで書きました。つまりはドラマCDやら小説やらアニメやらの設定は皆無です!というか観てないからね!

単行本を買うほど好きな作品のアニメが総じて見れないという謎メンタル持ちなんです。お陰でアイシールドもブリーチもホイッスルもアニメ未視聴!その為にファン失格と思われても仕方ないかもしれませんが、まぁその辺は知ったこっちゃないよね!

話が逸れまくちゃった。

後期になるとね、書きたい!って気持ちが先じゃなくなってきたんですよね。このキャラ達のこういう話が書きたいから書くってんじゃなくて、その前に原作からなんらかのモヤモヤを感じるんですよ。原作のストーリーがどうこうって訳じゃないですよ、単に原作を見るという行為によって生じた自分の心のモヤモヤです。何かを原作から感じ取っているようだがそれが一体なんなのかわからない、みたいな。

で、わからないからずーっと考える羽目になるんです。ご飯食べてても風呂入っててもトイレ行ってても、ずーっと何を感じたかを考え続けてる。この話を読むことによって自分が何を受信したのか、何故こんなにも気になるのか、というかあのキャラは何故こんな風に考えるようになったのかって。あのキャラってまぁ緑谷くんと爆豪くんなんですけど、何故あの二人はお互いに執着しているのかをね、もうなんか幼馴染の呪いでも食らったのかな?ってぐらい考え続けてた。

そんで考え続けるのにすげぇ疲れちゃって、そしたらもう書こうって。書いたらなんかわかるかもしれないって。でもこれ書き始めたら永遠に終わんねぇなってなって思ってダイジェスト風にして、その結果割と失敗したんですが、自分的には結構満足してるんですよね。書くことによって、幼馴染への執着が消えたから。そしてその執着が割と自分の事にも通じていたというか。自己との対話に近い場所に位置していたのが、幼馴染の対話であったというか。だから二次創作って実は、自分でも気付かず潜んでいた、自身の執着を昇華させる為の作業だったのかもしれないなって。

ふふふ、なんて面倒な話なんだろうね!
二次創作ぐらいもっと心安らかに書けって話ですよ。まぁ全部が全部そんな事思いながら書いてるわけじゃないけどね。勝茶とか夢でみた話を書いてるわけだし。

とにかくそれらを経験して思ったことは、執着から解放されるって、その事にもう悩まなくてもよくなることなのかも知れないってことです。囚われるのは本当にしんどい。ずーっとそのことを考えっぱなしだもの。全ての出来事がその事に向かっていくから、良いも悪いも。

でも解放された途端、なんでその事で悩んでたのかわかんなくなるんですよね。で、なんかめちゃくちゃ楽になる。心が。どっちかってーとメンタルヒーリングに近い気もする。こんな事考えてる人、他にいないかもしんないけど、この感じは今の時代にこれだけ二次創作が流行ってるのにもなんかどっか通じてるんじゃないかなぁ。

二次創作って、執着の有無に限らず疲れた現代人の心の拠り所だったりストレス発散の場所だったりになってる部分が少なからずあるじゃないですか。だからこそ、二次創作にはいつまでも自由に自己表現が出来る文化としてあり続けて欲しいんですよね。そりゃある程度の礼節は必要だけど、必要最低限以外はいつまでも自由であって欲しい。誰かの為にってのは仕事で嫌でもやるからさ、趣味ぐらいは自分の為だけにね。

誰かの意見は、あくまでも誰かの意見であって、自分のそれとは関係ないんだ。
怯えずに生きていこうぜ、現代!

観念

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。/甲本 ヒロト



こんな辺鄙な場所でだって、どれだけ気を配ってたって、誰かを傷つけちゃうことがあるんだろうけど、それでも何かを発言することに怯えたくないなぁって、そんな感じの気分でございます。自分を殺すことが誰かの救いになることだってあるだろうけど、それをするときは自分を殺すことに一片も後悔のない精神状態でやりてぇなって。

歪んだフラストレーションって巡り巡って自分も周りも傷つけるんですよ。そしてそれはいいエネルギーには決して成り得ない。誰かを幸せにしたいのなら、まず自分を幸せにしてあげないといいエネルギーが生成されないんですよね。だから自分が心から幸せだと思うことは一体何なのかをずっと考え続けてかないといけなんだろうなぁ。うん、なんかちょっと怪しいセミナーみたいになってきましたね。そろそろやめとこ!

ってか年明けから精神状態ががらりと変わっちゃって、自分でもちょっと困惑気味です。ここ数年の自分と今年の自分は果たして同じ自分なのか疑わしいぐらいの変貌ぶりなもので。それはおそらく良い事だろうけど、もうちょっと様子見たい気もする。まだ脳みそがついてってないから……。

今年はもしかしたら例年にも増して毒吐くことが多くなるかもしれませんが、注意喚起はなるべく直前にしておきますので、寛容な心でどうぞ許して頂けると幸いでございます。言いたいこともなかなか言えないこんな世の中なので、声が大きいってだけでまかり通ってる事象が多々あるじゃないですか。時にはそれが正義と呼ばれることすらあって、そうなるように誘導している人たちもいる。そういうのってどうなのかなーって思って。感情論挟むと大体ややこしい事になるんで、なるべく抑えていきたいですけど、ぴょっこり飛び出してたらごめんなさいです。

自分が何ができるって訳じゃないけど、なるべくいい世の中になっていってほしいよね。物質に溢れて幸せなはずの現代だって、理不尽な事柄で悲しんでる人たちいっぱいいるじゃない。何に対してもだけど、殴り返していいのは殴られたサイドの人たちだけだよ。関係ないのに正義の味方気取ってみても、自分がみじめになるだけだもの。私もかつてやったことあるから知ってるけどさ、あれは本当に自分のかっこ悪さを思い知らされるよね。

人生って本当に修行だよなぁ。娑婆で生きてくのって本当に大変!
耐えねばならんのでしょうね。それがいつの日か、克服できるまで。

おれがあいつであいつがおれで

こないだ初めて「君の名は。」観ました!

以下ちょっと感想書くんですけど、好きな方向けの内容では決してないので、あの作品が大好きでこれから先の文章を読もうとしている方がいらっしゃるならば、最大限の注意とものすごく寛大な心をもってお読みくださいませ。

生きていく上で大切なのは、分かり合うことでも、理解し合うことでも、許し合うことでもなく、「住み分け」です!こいつはもう言い切ります!
生まれから育ちまで異なる人間同士がね、分かり合えるなんて幻想なんですよ。どんだけ努力し譲歩したって、他人の考え方や感情なんて結局分かるわけないんだから。逆に分かられたら怖い!


















という前置きを踏まえまして、以下感想です!なかなか辛口表現ですので本当に気を付けてね!














開始30分ぐらい、結構夢中で観てました。
普通に面白いなーって。テンポはいいし、映像は綺麗だし、瀧くんの髪型立向居くんっぽくて可愛いなーって思いながら見てたんですけど、見てたはずなんですけど、それにしても彼等の恋っていつ始まった……?

ライトなSFとか隕石とかの話も主なあれだけど、基本はこれ恋愛映画だよね?まず恋があって、そこから初めてSFチックな設定とかが活きてくるんだと思ってたんですが……なんか違ったね。おれがあいつで系の入れ替わりネタのが主な土台かと思ってたんですが、入れ替わりネタの日常は基本的にダイジェストで表現されてて、CMとかでやたら見てた顔とかに落書きするとことかも割と一瞬で、ただひたすらに瀧くんがおっぱいを揉んでた印象しかない日常パート。

てかみつはちゃんも瀧くんのこと気になり始めてたんなら、何故に先輩とのデートを組んだのよ。それにどっちも通信機器が使える時代での入れ替わりなんだから、もう少し相手と連絡がつかないことに対する違和感とか、……てかその前に会おうと思わなかったのかな?恋心は置いといて、まずそんな摩訶不思議現象起きたらその相手に会おうとしない??メモやらノートやらには書き込めたんだからさ。もしかしたら3年のタイムラグがそういう個人情報に関するメモを許さなかったという設定があったのかもしんないけど、そしたら作中でその辺の描写が欲しいよなぁ。映画始まる前に監督さんが「最初は頭を使う」みたいなこと言ってたけど、これは全体的に頭を使わずに観るやつでは……???

まぁそんなこんなで恋心にまったく共感できずに観てしまったものだから、瀧くんイケメンで本当によかったねって感想しか出てこなかったです。イケメンじゃなかったらおそらくみつはちゃんもきっと恋してないし、そしたら乳揉んで勝手に口噛み酒飲むただの変態さんですよ。大惨事!

あとせっかく映像作品なんだから、心理描写とかの表現は映像で観たかったなって思いました。彼等、心理描写全部口で喋ってたから。最後の方本当に独り言多かった。人が大勢死ぬってんのに「名前が思い出せない!」ってそんなこと言っとる場合か!あとお父さんをなんて言って説得したんだよ!わーん!登場人物の心が全然わからない!!

代替え可能な主人公・ヒロインに感情移入するのが最近の流行りなのか、それとも綺麗な映像と音楽と声にみんな惑わされているのか。観ながらずっと宮崎駿監督ってすげぇなって思ってた。あちらの方は人間が生きてて、感情がちゃんと伝わってくるもの。

君の名は。は登場人物がストーリーの為の人形みたい。瀧くんもみつはちゃんもさ、恋の為だけに生きてたもん。勿論生きていくうえで糧になる恋もあるけれど、彼等の恋は単なる現実逃避の一環でしかなかったなって。

描写されている限りどっちの家庭環境も多分あんまりよくなくて、その為におそらく何かを我慢して生きているところがあるわけでしょ。みつはちゃんはお父さんと神社のそれ、瀧くんは家事やらバイトとか。そういう寂しさや葛藤によって欠けたものを、恋によって簡単に穴埋めしようとしてるみたいに見えちゃうんだよなぁ。だってあれ、お互いじゃなくても多分よかったでしょ。ただSFによって相手の存在を特別に感じたってだけで。どっちかってーと吊り橋効果に近そう。ある程度可愛いorイケメンだったなら誰でも代替え可能な恋だったんじゃないかなぁ。

まぁ一応作中に前前前世でもそういうことあってたよーみたいな描写もあったけど、そういう歴史の重さ全然感じなかったもんなぁ。瀧くんじゃなければ駄目だった訳じゃなくて、あの一族が生き残るために動いてくれさえすれば誰でもよかった感がすごい。てか前前前世の方々は誰にコンタクトとってたんだろうね。そっちも瀧くん?それとも瀧くんの一族?もしくは瀧くんとは関係ない人?それによって大分考え方が変わってきちゃうぜ!

最初割と物語と足並みそろえて観てたのに、途中から完全に置いてけぼり食らっちゃった。
あれ、いつの間に恋を?え、死んでる?3年前?彗星?そんな気軽に変電所を爆発させちゃうの?てかお父さんとの確執あんなに丁寧に伏線張ってたのに最後超投げっぱじゃん!?って混乱してる間にいつの間にか再会して終わってた。分母の大きさを恐れつつ言うけど、正直あんまり面白くなかったよ!映像が綺麗だっただけにちょっと残念。

あれもういっそ恋しない方がよかったかも。友達としての好意で命を救いに行って、次の再会からもしかしたら恋が始まるかもしれない、ぐらいに抑えてた方が感情移入しやすかったかもなぁ。

行動の全部が恋で説明されてるからさ。恋って確かにパワーはあるだろうけど、何もかもを説明付けできるほど万能じゃないと思うんですよね。恋で全部説明できるなら、それまでのお互いの人生やら考えてきたことが無に帰すじゃないですか。もしも恋がこれまでの人生のすべて凌駕するっていうのなら、そうなるだけの理由が必ずあるはずなんですよ。そういったバックボーンなしに恋で片づけるって、人間を表現するにあたって対応がちょっと雑かなって。いくら恋に恋しがちな若者だからと言ってもね!

設定が好きか、人間らしさが好きかで評価が分かれるのかもしれないなぁ。てか多分個人でのSFとの関わり方でも評価変わってくるよね。SF好きからしたら入門編って感じだったけど、SFに興味ないならならアニメとしてはかなり斬新な表現だったろーし。

そういうとこ含めて、良くも悪くもライト層向けって感じの映画でした!


超面倒くさいこと言うと、映画の内容がどうこうってより、ああいう映画がものすごいヒットする現代の風潮の方がちょっと怖いです。みんなちょっと感情が希薄になってきてない…?

強い感情が叩かれがちな世の中だからそうなっていくこともわからなくもないけど、なんかそういうのって怖いよなって。このままだと精巧なロボットを開発するまでもなく、人間が生きたままロボットみたいになっていっちゃうのかもなぁ。もしくはターミネーター系の未来かな。どっちにしろ、あんまり楽しい未来予想図じゃねえな。