ちょっと独り言です。脳内整理用。誰かに向けての何かではないので悪しからず。
それでも別にいいぜばっちこいや!って男気溢れる方は、どうぞお進みくださいませ。
自分は自分、他人は他人というスタンスで大体生きていて、まぁ普段は性に合っているのかそのスタンスに困らされたことがないのですが、メンタルが弱っている時は話が別になってしまいます。気分や季節や気圧によっても変動があるんでしょうけど、どうにも過去の古傷が痛むときがね、そのスタンスではちょっと補いきれない部分がでるというかなんというか。
その場合にね、他人に助けを求めることができない人種なんですよね。
過去の何らかが抑止力になっているのか、それとも生まれ持った性質なのかは定かではないんですが、まぁなので一人で家の中で耐えるコマンドを連打するより他に方法がない訳です。幸い、血液型補正が入っているお陰で回復はわりかし早い方なので、周りの人間に気付かれることはほぼないのですが、まぁそれが良いか悪いかはちょっとわかんない。
生きやすいか生きにくいかで問われたら、まぁ生きにくい人種だろうなーとは思います。まぁなんというか、中二メンタルを拗らせてる感じです。中二病はね、やっぱり中二の時に拗らせておくべきですね。はしかとかと一緒で、大人になってなると重症化するね。
過去はもう、文字の如く「過ぎ去って」しまったものです。気にしすぎてもなぁとは思うんですが、過ぎ去ってしまった場所に、昔に置き去りにしてきてしまった気持ちみたいなものがあって、多分、それがあるからずっと振り返る羽目になってるんだと思うのです。私も多分、何もかもを昇華して宇宙へと旅立たねばならないのでしょう。ヤマト・イシダのように。でも基本性格があまりにもヤマト・イシダとかけ離れている為に、高石先生に自らの過去をすり合わせてしまっているところが、あるよ。実際に、ある。
私が気になるキャラって、みんな逃げない人なんですよね。自らの過去やら現状から。過去や自分の現状がどうであれ、その過去を踏まえた上で、現実を見据えて突き進もうとしている。多分02が好きなのも同じ理由で、OPだって「逃げる訳には、負ける訳にはいかない」ってアレだし。
過去の出来事なんてね、もう今更どうしようもない訳ですよ。どれだけ後悔したって、過去の選択は二度と覆らない。手痛い過去から得る恩恵はひとつで、もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにする事。ただそれだけに尽きる。んですけど、ヤマト・イシダや高石先生の場合、彼等の心の傷って両親に起因するものじゃないですか。まぁ言ってしまえば、彼等は何も悪くない訳ですよ。
その場合、どこに感情をぶつければいいのか?って問題が発生するのです。
彼らね、優しいんですよ。どちらの親にも、ぶつけることができないんです。それをぶつけたら親が傷つくとわかっているから。親を傷つけるぐらいなら、自分が傷ついた方がマシだと思ってる節があるんですよね。愛しくも哀しい優しさです。幸いヤマト・イシダは太一という拳をぶつけ合える相手と、ガブモンという己を100%信じてくれるベストパートナーと出会えたわけですが、そうすると、高石先生は……?っていう。
多分ね、ちゃんと描かれてないんですよ。高石先生の救いって。なんで描かれてないかって、彼が執筆者だからです。高石先生の救いは、初代・02の冒険そのものなんですよ、多分。高石先生が傷ついてきたことも、楽しかったことも、悲しかったことも、嬉しかったことも、未来に託したいと願ったすべてがその二冊に集約されているのです。それが多分、彼の希望なんだろうなって。
彼はもしかしたら、そこにあるすべてを肯定しなければいけないのかもしれない。大輔くんは素でやってるけど、大輔くんのって、あー、ヒカリのキオクのコインみたいな感じなんですよ。表だとしても裏だとしても、過程はどうあれどっちにしろ結果が一緒って感じ。タケルくんのはそれとは性質が違ってて、表と裏では結果が違うことをちゃんと「知っている」んです。どちらかを選べば、どちらかが選べなくなることがちゃんとわかってる。その責任も。どっちが優れてる訳じゃなくて、単に性質の違いですけども。
何度も何度も繰り返してるけど、タケルくんの「闇は闇に帰れ」みたいな台詞がね、好きなんですよね。「何故そっとしていてくれない」みたいなやつ。ちょっと台詞あやふやですけど。ホーリーエンジェモンの技もさ、殺す為の技じゃないんですよね。半永久的に亜空間に閉じ込めるだけだから。そっちのカーズ処理のがちょっとアレな気もするけど。まぁそういうとこが光と闇の秩序というか、バランスを保つ役割があるのかなぁと。キャラデザ的にも何故か左腕が黒いし。仏教的に言うと、世界の中道を保て、みたいな感じで……逆にわかりにくいなこれ。
その、だから、人間としての究極を強いられている感じがね。グッとくるなって。太一さんが好きな理由も同じような感じだけど、太一さんは高石田兄弟ほどは感情に過敏ではない感じがするので、まぁそんな感じです。
タケル君の場合は、世界・人間としての正しさって感じなんですが、爆豪くんと立向居くんって違うんだよなぁ。あの二人はね、自分の正しさなの。自分による、自分の為だけの狂気なの。あー、でもタケルくんも、そうか。あー……。
うん、やっぱこう、書くって良いな。皆様方にもちょっとおススメします。書き始めは自分でも実体のないモヤモヤなのが、書いてくと何故か不思議と形を成してくるんですよね。いつも。私のはその為のブログとも言える。見てくださってる方にはなんのこっちゃわかんないかもしれないけど、もうここはそういう場所だと割り切って頂けると幸いです。何卒ご容赦を。
私の場合は自己解釈にキャラをお借りしてますが、各キャラの答えは必ず二次創作にして捧げる所存です。彼等の答えは私の答えにはなり得ないし、逆も然り。人生の道中でたまたまそこからそこまでが一緒になったって感覚です。いずれ分かれ道がきて、さよならするよ。さよならだけが人生です。別れがくるからこそ、出会いは儚くも美しく色付くのだ。また来る春は、出会えた思い出を肴に各々で祝おうぜ。
まぁなんというか、集約するとアンパンマンのマーチですよね。
何のために生まれて、何をして生きるのか。私はまだね、それに答えるための言葉を持ってないなって話です。